【心】スピリチュアルかぶれ。本質から離れてしまったスピリチュアル

先日、仲良し3人で多国籍料理SO-ANさんで食事をしました。

この日は特に個性的なお客さんが集まっていたようで、賑やかでいつも以上に居心地の良い空間になっていました。

美味しいランチを頂きながら、それぞれ遠慮なく好きなことをしたり話したいことを話したり、お互いに介入も干渉もしないけれども、敬意と尊重がベースにあり、ちゃんと「ごめんね」「ありがとう」の愛と調和が存在している空間だったように思います。


私は氣功教室や癒しの対話セラピーというカウンセリングをしていることもあり、貴重なスピリチュアル経験は良く見聞きしますし、そういう系統の生徒さんやお客さんたちも多くいらっしゃいます。

そんな中で、いつも大切にしていることがあります。

それは、私のホームページの中の一節でも表しているこのことです。


【毎日の実生活こそが最高のスピリチュアル・・・・・。幸せは、何かを成せば手に入れられるという遠くのものではなく、身近な日常生活で幸せを感じられるようになることが、最高のスピリチュアルではないでしょうか。『本来の』あなた様の『本来の』望みに向かって歩むお手伝いをさせて頂きます。】


今日、私が話題にしたいのは、『スピリチュアルかぶれ』のことです。

(私が勝手に作った造語です。)

スピリチュアルかぶれの人というのは、数々のスピリチュアル関連を放浪してきたスピリチュアルジプシーな人に多いような氣がしています。

せっかくスピ界を色々渡り歩いて勉強してきたにも関わらず、自身と宇宙の本質に目醒めるどころか、逆に目を閉じて眠り込んでしまった人のことを言っています。

本人は、『私は目醒めた!』『私には凄い霊感がある!』『これこそが本物!』『私はもう開花したから、もう感情が揺れることはない!』と思っているのですが、実は、その逆で、成長が止まり、感性が退化してしまっていることがほとんどです。


例えば、霊感カウンセリング、霊感開花ワーク、占い、瞑想、坐禅などなど受けたりして、せっかくスピリチュアルな世界を深めていったのに、自分と他人に優しくなるどころか、挨拶しなくなった・・・・、迷惑をかけても謝らなくなった・・・・、親切にしてもらってもありがとうを言わなくなった・・・・、他人に対してズバズバ傷つくことを言うようになった・・・・などなど、歪んだ全能感を押し出すようになってしまう人って、本当に居るんです。

けっこうな困ったちゃんで、影響力が大きかったりもするので、どこかで有名なトラブルメーカーになっていることも少なくありません。


本来なら、目醒めに上限はありませんし、自身と宇宙の本質に氣づき、その方向へと純度を上げていけばいくほど、より穏やかな愛と調和の世界へシフトしていけます。

なのに、あたたかくて思いやりに満ちた『愛』や、お互いの違いに対して敬意を表し、尊重し合える『調和』とは逆の方向へいっちゃった・・・・。


ちょっと、氣をつけたいところですよね。


目醒めの階段は、自分の中に潜んでいる違和感や黒く重たいもの、直視したくないようなものを直視し、素直に認めていくことで上がっていけます。

シンドイ時期もありますが、トンネルを抜け階段を上がっていくほど、楽になっていきます。

氣づいて、放す・・・・・生きている限り、その繰り返しに終わりはなく、『ずっと続く』と思っていた方が、沢山上がれます。


ま黒いものや執着を完全に放し切って『悟る』ことが重要なのではありません。

100%悟ることが重要なのではなくて、『私は、目醒めの階段を昇っていく』と決めて、100%本氣になることが重要です。


つまずいたり、うまくできなくても、大丈夫です。

下手くそな人ほど、大きく開花します。


変な方向へいかず、あきらめないで、一緒に楽しんでいきましょう。


(目醒めなければいけないわけでも、目醒めようとしていない人がダメなわけでもありません。違いに優劣があるのではなく、目醒めの方向へ行くのか、そのままで居るのかは、生き方の違いであり、自分が選ぶことです。)


並木良和さんとチヒロさんという方の動画を参考に貼り付けておきます。

この動画の後半で、上に書いたようなことが話されていて、分かりやすかったです。


氣功でリラックス私らしく素敵な生活を

地域の公民館や 高新文化教室などで、 氣功教室をしています。

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