【心】自分さえ良ければいい?まず知ること。

2019年の参議院議員選挙が終わりましたね。
れいわ新撰組からお二人、重度障害者の方が当選されました。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の舩後(ふなご)靖彦さんと、脳性まひの木村英子さん。
こんなに重度の障害をお持ちの方が議員になるって、もしかして、世界初ではないでしょうか。
今後、国会の激務をこなされていく中で、どうかお身体を悪くされないよう祈ります。
また、このお二人が十分なサポートを受け、全うに職務を遂行できるよう、ハード面ソフト面ともに整備されていくことを祈ります。

祈る祈ると言っていますが、祈ってばかりではいけない…とも思います。
できることを一人一人がやっていかなくては。

私は普段ほとんどテレビを見ませんが、開票日である昨日は、報道番組を見ました。
テレビ番組は、生活に直結するタイムリーな情報を流して下さっていて、なくてはならないほどの利便性を提供してくれています。
けれども、正直なところ、昨日、久々に報道番組を見ていて、こういうシーンを流すんだな…こういう発言を流すんだな……って、ガッカリしてしまう場面が多かったです。

コメンテーターが、「私、社会保障に期待してないんで。」という発言をしていました。
彼女は、東京を離れ、とある地方に移住している方です。
たしかに、社会保障制度により、生活に十分な給付が得られなくても、田舎なら海も山もあり食べていけるかもしれません。

どういう意図でこの発言をされたのかは不明なので、この部分だけをやり玉に挙げるのは良くありませんが、この発言は、昨今の国民の日本の制度に対する捉え方を象徴する発言だと感じました。

おそらく、このときに言われた期待してない社会保障制度っていうのは、ほぼ年金制度のことを言っているのだと思いますが、年金制度って、誰か一人の生活のために創られたものではありません。
多くの人が大きな勘違いをしているのではなかな?と思います。

『私』や『あなた』個人の生活のために年金制度があるのではなく、誰か困った状態にある人を助けるために制度があるんです。
困った状態とは、老齢、障害、死亡です。
例えば、生まれながらに障害を持って生まれた人もいますよね?
誰が助けるんですか?
みんなで、助けるんです。

様々な個性を持った人々が、基本的な人権を尊重してもらい、最低限度以上の生活をしながら生きていけるように、法律があります。
だから、そういう大事な法律に対して、「期待してない」なんて、言ってはいけないし、そんな論調を流して広めてはいけないと思います。

今ある制度に対して「期待してない」と否定するなら、代替え案を持ち、提案すべきではないでしょうか?
(代替え案を持っていてもテレビでは発言できなかったのかもしれませんが。また、発言したところで、流してもらえないこともあるかもしれませんが。)

深く考えるには、法律について、知っていないと考えられません。
そんなの難しい……って思うかもしれないけど、そんなに難しくなんかないはずです。
法の第一条には、必ず【目的】が書いてあります。
それくらいは、ほとんどの人が読めるし、知ることができると思います。
そこだけでも知れば、何のためにある法律なのか?わかるはずです。

何一つ勉強してなさそうな、勉強する氣もなさそうな、バカみたいなしゃべり方をする人がテレビに出ているのを見て、『これでも良いんだ!これがカッコ良いんだ!』と勘違いして、みんなで、バカになっていては、誰かの思うツボです。
(彼女のことをバカと言ってるわけではありません。)
誰かの思うツボの人生じゃなくて、自分の人生、自分で明るくしていった方が面白いんじゃないかな?と思います。

そして、自分さえ良ければいい…は、やめにしていかないと。
自分が生きていられているのは、多くの人たちのおかげなんだから、その多くの人たちのためになる発言をしていく方が、より良い国になっていくはずです。

今は情報入手の手段はたくさんあるんだから、もっと知ることを始めていけば良いと思います。

知らないしわからないから、安直で投げやりになります。

私は、子どもの教育や障害者さんなど弱者カテゴリーにされてしまってる方々へのサポートは、とても大事だと思います。
支え手になっていくのは、子どもたちだから。
子どもを産める国、環境的にも安心して育てられる国でないと。
また、障害者さんなど弱者カテゴリーにされてしまってる方々から学び享受できることは、まだまだ無限にあると思います。


氣功でリラックス私らしく素敵な生活を

地域の公民館や 高新文化教室などで、 氣功教室をしています。

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