数か月前に、私の氣功の先生が生徒さんに伝えていた言葉で、胸に刺さったものがありました。
それは、今、私の大事な指針になっています。
その言葉とは、【言ってはならない。】というものです。
あるとき、先生は、身体がかなり不自由になってきた一人の高齢の生徒さんに対し、日頃の生活の仕方について話していました。
高齢になり、身体があちこち故障してくると、食事の支度や身の回りのことなど、なかなか自分では思い通りいかず、家族や他人の介護が必要になってくるものです。
今は、周りに甘えるべきなのか?それとも、『シンドイけれども、もう少し自分でやってみよう!』と一歩がんばるのか?・・・・その見極めは、第三者ならまだしも、介護されている側と介護している側という<当事者>にとっては難しいものかもしれません。
当事者である介護されているその方も介護しているご家族も、古くからの先生の氣功の生徒さんで、先生は、近頃の生活の様子を冷静に聞きながら熱く指導されていました。
第三者だからこそ、今は甘えるときなのか?自分で一歩がんばるときなのか?を判断されている様子でした。
そして、最後は、ビシッと厳しい指導をされていました。
その後、練功がひと段落して理路を学んでいるとき、先生は、このように私たちに向かって言ったのです。
「さきほど私は、○○さんにとても厳しいことを言いました。これは、○○さんが、長年、氣功をしてきた練功者であり、理路を学んできた人だから言ったことです。そうでない人に対しては、このようなことは、決して言ってはならないことです。」
・・・・【言ってはならない。】・・・・
この言葉が、もの凄く私の胸に突き刺さりました。
『言わない方が良い。』とか、『言うなら言葉を選んで伝えましょう。』とか『相手がわかるように・・・』とかではないのです。
・・・・【言ってはならない。】・・・・
この言葉を聞いて、これまでの自分の愚かさ、未熟さ、傲慢さを痛感しました。
誰しも、他人に対し『こうしたらどうだろう。』『こうすると良いよ。』とアドバイスする場面というのは多々あるものですが、相手が【求めてもいないのに、何かを伝えよう】としたり、【私はあなたよりもわかっているんだから、私の言うとおりにしなさい】というスタンスは、マウンティング(自分の優位性を示す行為)になりかねません。
良かれと思って言ったことでも、相手は、受け容れられなかったり、意味がわからないことだってあります。
また、例えば、ある人から見て、『このままその道を行けば、この人は大きな損失を得るだろう(大借金につながる、身体を壊す、命を落とすなど)』と見てとれても、相手がその道をUターンすることを求めておらず、信じて突き進もうとしているのであれば、例え本当に死んでしまうようなことがあったとしても、自分の意見を押し付けるべきではないんです。
その人にとっては、大借金であれ死であれ、それは広い視野でみれば損失ではなく利益である場合もあります。
すべての物事には筋道、様々な法則、宇宙真理があるので、そういった理路を知っていて、自らも経験してきていると、『こうすればこうなる。』ということがわかる場合があるので、つい、他人に対してアドバイスといった形で自分の学びを披露したくなるものですが、それには、相手が【求めている人かどうか?】という見極めが大事になってきます。
学び、経験というのは、自分のためにあるものであり、他人を変えるためにあるものではありません。
精進するのは、他人ではなくて、自分自身です。
いつでも自分が学び、自分が経験をしていきながら、求められたときに、人様のお役に立てれば良いのだと思います。
先生の【言ってはならない。】の一言で、改めて、このことを指針とさせていただくことができました。
先月の氣功合宿で「先生、先生はあの時、言ってはならない!とおっしゃいましたね。私はあの言葉が、とても強く印象に残りました。」と伝えると、先生は、「そうです。相手を混乱させてしまうからです。」と言っていました。
とても、わかりやすいですね。
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