最近、自分の死に方について考えることがあります。
氣功の会に参加していると、度々、素敵な死に方について聞かせて頂けるからです。
仙人のような人になると、自分の死期がわかる(自分の意思で、もうそろそろ逝くと決めて逝くことができる)そうで、「○日後に逝くからね・・・」と弟子たちに告げ、大事なことを一人一人に伝え、穏やかに去って逝く方もおられるそうです。
一般の方で、大病を抱えていても、痛がらず苦しまず、旧友らと楽しいお酒を楽しんだその日に、自宅で眠るようにして逝かれた方もおられるそうです。
こういったを話を聞くと、素敵な亡くなり方だなぁ・・・・と思いますし、できることなら、『良く死にたい』と思います。
みんなに「ありがとう。じゃあ、またね。」と去れたら、最高かもしれません。
自分の死に方について思うことは、今の自分の生き方について思うことと同じような氣がしています。
今、心の底から幸せと感じているか?
夫や妻に愛のある言葉を使っているか?
子どものことを大切にしているか?
親戚と仲良くしているか?
職場の人たちのことが大好きか?
良き友人と今日も何でもない話ができたか?
最近会ってない知人たちの幸せを願っているか?
寝床があり食べられていることに喜びを感じられているか?
日々で言うと、こんなことなのかもしれません。
ネット環境の普及、SNSの発達により、欲しい情報が簡単に手に入る世の中になりました。
昔なら、時間と手間をかけて、人を介し、つながることのできた様々なもの(知人になったり、お店の予約をしたりなど)が、時間も手間も人も介さず即座につながることができるようになりました。
仕事のAI化も今後ますます加速します。
便利なことではありますが、こういった時代の流れは、自分の向こう側に生きた人間が居るという現実感を希薄にしているような氣もしてなりません。
インスタントでコンビニエントな時代だからこそ、立ち止まってよく振り返り、日頃関わっている人たちや、情報の向こう側に居る人たちのことを、我が身のように生身で捉える感性がとても大事だと思います。
死に方と、生き方。
自分のことを最高に大切にしながらも、自己中ではない、良い死に方ができますように。
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