教室を開くだけでなく、私自身も、毎月必ず師匠の練功会へ参加して勉強するようにしているのですが、先日、思い切って先生にこんな質問をしてみました。
「教える側になり氣功に本氣で取り組むようになってから、どんなに腹の立つことも、どんなに理不尽に感じてしまうことも、100%完璧に、相手や起きた現象の方に原因があるのではなく、自分の内側の方にそのような現象を引き起こす種がある…と本当に思えるようになってから、とても楽になりました。怒りすぎることや悲しみすぎること、恐れすぎることも極端に減り、穏やかになってきてます。ですが、以前のようにウワーッと大喜びすることもなくなってしまって、本当にこんなふうになってしまって、いいのかなぁ?と疑問です。感情がなくなったわけではありませんが、感情の起伏が前ほどなくて、今この状態に馴染めてません。」
先生の回答は、たった一言でした。
「それまでの喜びというのは、自己中な喜びだったんです。もっと深いところがあります。少しずつでも、毎日練功を続けて下さい。」
あまりにも納得できる回答で、圧倒されました。
自己中心的な喜び……。
私は、数か月前までの自分が、いかに自己中に喜んでいたのか…思い当たる節だらけです。
例えば、他人に何か嬉しいことがあって、それを一緒に喜んでいたとしたら、『共に喜べる良い人』に見えるかもしれません。
けれども、本質的な視点から見ると、そうやって、ウワーッと大喜びしてたのって、打算的で短絡的な損得勘定のある喜びだったんだなぁ…と今なら少しは分別がつきます。
そこには、深くて穏やかで広大な感動はなかったかもしれません。
ちなみに、氣功の功法の中でも、霊元功(灵元功)と静功十二式に真剣に取り組み、基本中の基本である昇降開合と収功を丁寧に行うようになってから、やっと、どんな現象も100%自分に原因がある…と認められるようになってきました。
シンプルな昇降開合一つとっても、臓器、感情、経絡、経穴、方角、陰陽…様々な事柄とつながっています。
頭でわかるのではなく、腑に落ちるためには、体の掃除だけでなく、心の掃除もできる氣功はとても有益だと思います。
全ての原因は、自分の内側にある!と頭で知っていても、あまりにもヒドイ目にあったときだけは、『これだけは違う!こんなにヒドイことだけは、私ではなくて、相手の方に原因がある!』としたくなるものです。
けれども、やっぱり、それさえも、完璧に100%自分側に原因という種があります。
例外ナシです。
「全ての現象は、自分が創っている。本質を見なさい。」約16年前に氣功と出逢った当初から、先生に静かに言われてきたことです。
やっと、腑に落ちてきました。
あなたと一緒にしないで!と叱られるかもしれませんが、私のように相当我の強い人ほど、氣功に向いているかもしれません。
我が強いからこそ、人生、相当『色々』あったはずです…。
けれども、我が強くても、頑固を手放せる素直さがないと、たぶん、氣功は続けられません。
なぜなら、氣功は、全て余すところなく100%『この世界を創っているのは、自分』という本質に至るためのものだからです。
その本質に、広大無限の愛と自由があります。
今日も、ふぁんそん。
【9月の氣功教室】
7(土)10時~12時 高知市鴨部
21(土)10時~12時 高知市鴨部
上記以外にも、今後、さらに日程を追加していきます。
お問い合わせ下さい。
(氣は、〆るものではなく、開いて放射するもの。気功を氣功と表記しています。)
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