近所を散歩していたら、こんなお庭を見つけました。
キウイと葡萄がたわわに実っていました。
今日は、だいぶ感覚的に書くので、かなりわかりにくい表現になることをお許し下さい。
また、博学な方や文献などに確認をとって書いているわけではないことをご了承下さい。
理解できた一部の方に、もしかしたら、少し気が楽になって頂けるかもしれません。
この世の中に、自分の持ち物というのは、実は何一つ存在しません・・・・という話です。
よくお金に困っている人を見かけますし、私自身も、他人の多額の借金の整理をしたり、自分は借金などをしたことはなくても、『お金』が『減っていく不安』というのを感じたことはあります。
お金を使いたいときに思うように動かせないとか、借金が返せないとか、そういった状況は気が狂うほど苦しいと思いますし、実際狂っていくものなんだな・・・・と思います。
お金というものにより、人間関係が崩壊することも、よくあることです。
信じられないかもしれないし、お金に困っている最中にある方なら、なおさら聞きたくもない話かもしれないのですが、
【本来、自分の持ち物というものは、この世に一切存在しません。】
このことは、お金というものに限ったことではありません。
実は、すべては、常に、【ある】状態にあります。
だから、本当は、『減る』とか『なくなる』などと言って、心配する必要はないんです。
『何かを所有』しようとしたとき、『これは私のものだ』と思ったとたんに、【無限が有限になります。】
このことについては、理屈ではわかっていても、感覚的にわかることが、なかなかできません。
しかし、今わからなくても、ふと・・・わかるようになることもあります。
そして、感覚的に一旦わかったとしても、またわからなくなる時が来ることもあります。
お金はもちろん、全てのものは、【誰のものでもない。】
だから、『減る』とか『なくなる』ということもないし、どこか一部だけが肥大化して固定するということもないんです。
そして、このことをもっと拡大して解き明かしていくと、私という人さえも、【私】が【ある】わけではないんです。
【私という個と思いこまれているもの】は、単なるお遣いであり、必要があって、私という何かが個として存在しているように思いこませてもらえているだけです。
今これを書いている私も、今は感覚的にわかっていますが、数日後わからなくなっている可能性もゼロではありません。
望ましい状態が続いていれば、ずっとわかったまま居られることでしょう。
しかし、この感覚の中にないときは、また当たり前のように苦しむ『こと』が出てくるでしょう。
この変わり目とは、【何か】を【独占】しなければならない
【固定】しなければならない
という【不安】に【固執】したときに訪れます。
ということは、【独占】や【固定】による【不安】に【固執】しなければ、私たちは【全て】という【感謝】にあふれ満たされた中で、何一つ困ることなく生きていくことができるんです。
それは、【永遠の流れ】とも言えますし、【無】とも言えます。
【永遠の流れ】と【無】とは、たいへん威厳のあるものです。
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