おさかきをお返ししに、土佐神社様へ。
神社様は、私にとって、『自分の本質』と今一度つながり直すための神聖な場所です。
9月初旬、家族全員で伊勢神宮へ参拝してきたのですが、内宮参拝中に、身を持って不思議な体験を2つしました。
その内の1つについて。
神宮参拝の3日くらい前から、首が前後左右、ほとんど動かなくなっていました。
動かさなければ痛くないのですが、極端に可動域が狭く、動かすと痛い。
カクンと抜けそうな状態で、ギックリ腰ならぬギックリ首になっていました。
それが、内宮の正宮参拝後に、突然、降りてきた言葉があり、それを理解した瞬間、ほぼ治ってしまったんです。
その言葉とは、
【頭が良いのなら、それは、人様のために与えられたもの。100%人様のために使いなさい。】
というものでした。
『世の中には頭の良い人っていうのが居るけれど、他人を分析してバカにするためにその頭脳があるのではなく、広く人々のお役に立つために与えられたものなんだよ、自分のものではないんだよ、ということを教えてくださっているんだなぁ。有り難いなぁ。』と思った瞬間に、ギックリ首が劇的に治っていました。
今思えば、降りてきた言葉は頭脳に関するものでしたが、きっと、これは、様々な才能、個性についても当てはまることだと思います。
全ては、他という全体のためにある・・・・。
つながっている・・・・。
才能は、自分という【本質】そのもののためにあるものであり、自分が真に悦ぶ使い方で、自分の中心から拡げていけば、全体にも悦んでもらえる。
逆に、本質という【本来の自分】が悦ばない使い方をして、本質からズレていると、たとえ見かけだけは称賛されたとしても、真には、誰も悦ばない。
神宮参拝により、改めて、『私は私の本質からズレない』『ズレたとしてもすぐ戻ろう!』と覚悟を決めることができました。
参拝から帰宅し、11/14(木)夜に高法寺さんで開催する『森のひびきコンサート』(https://kikou-relax.shopinfo.jp/posts/6901922)の件で、福井さんと電話でお話をさせて頂いたのですが、それは、神宮参拝前後の私の決意や方向性を再確認させて頂ける、大変に貴重で深いお話でした。
【私は、私を幸せにする力があるだろうか?】
【私は、私を幸せにする力がある!】
【そう、自分を信じること。】
【自分を信じる。】
信じられるかどうかわからなくても、信じたいなら、信じる!と決めればいい。
すべては、そこから、変わっていく。
どんな人にだって、色んなことがあるし、色んなことが起こります。
けれども、全ての創造主は、自分です。
全ての源泉が、自分です。
私は、2、3歳の頃に【この世の全ては、幻】ということをはっきりと感覚としてわかっていた記憶が、今でもあります。
ただ、その時、『これをわかっていることを知られてはならない。言ってはならない。』という感覚があったのも、憶えています。
大人になるにつれ、その感覚を掻き消すような自分が傷つくことを沢山してきましたが、今となっては、当時の私の感覚は、やっぱり本当だったんだ・・・・と思います。
『子どもの頃の感覚で生きていこう。』
今さら、やっと、そこへ戻れました。
超能力者とか霊能者と思われるのが嫌で、言わないようにしていましたが、私には、
《自分自身に嘘をついている人が、どういう嘘をついているのか?》
がわかります。
《なぜ、その人が、自分の本質からズレたのか?》
《その人が、本当は、何に苦しんでいるのか?》
《どのような親に育てられ》
《どのような環境で育ち》
《何に劣等感を持ち》
《どうやって誤魔化して生きてきたか?》
がわかります。
そして、
《その人が、現段階で、どの部分をクリアリングしていけば、より幸せに生きられるのか?》
もわかります。
本当のことがわかりすぎると、本当のことを隠したい人からは、嫌われます。
その人の本質は、私に見破られるのが、潜在的にわかるからです。
見破られるのが潜在的にわかるから、自分が自分に嘘をついていることを知りたくない人は、挨拶でさえ私の目を真っ直ぐ見てくれません。
だから、とっても怖かったです。
隠していかないといけないと思っていました。
知らないふりをするために、私自身が、沢山自分に嘘をついて、誤魔化して生きてきました。
けれども、多分、わかる瞬間に、一瞬で大量の情報をキャッチできるのは、私の才能です。
だから、自信を持って、これからは、やっていきます。
(もちろん、望んでない方々の紐を解いたり、伝えたりはしません。)
まずは、私自身が、もっと、私の本質に正直になっていきます。
そして、これが、人様のためになると、信じます。
『これで怖いものがなくなっていくな、もっと私の本質が拡がるな・・・』
そんな風に土佐神社様からの帰り道、運転をしていたら、顔色の悪いおばあちゃんとすれ違いました。
少し前までなら、その人のあらゆる情報が入ってきて、苦しくなることもあったのですが、今日は、違いました。
おばあちゃんが視界に入ってきて、【自分の内なる光に集中した瞬間】、おばあちゃんが私になっていたんです。
私はおばあちゃんで、おばあちゃんが私。
何とも言えない幸福感に包まれ、涙がにじみました。
『この人は、完璧。』
『この人は、幸せ。』
全てが、愛と感謝に包まれていました。
いわゆる、ワンネスというものかもしれません。
何か外部のものから悪い影響を受けるということは、ワンネスの世界では、もう、ありえないんだ・・・・と確信でき、新たな安心を手に入れることができました。
世界は、思っている以上に、ずっとずっと、優しいです。
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