いろんな専門職がありますが、どのような職種であれ、共通して言えることがあると思っています。
わかりやすいから、セラピストという職を例にして挙げますが、このことはどの職種でも同じことが言えるのではないか?と思っています。
セラピスト(教師でも技術者でも販売者でも・・・)とは、やることも言うことも、常に、その人の『人生の集大成』の現れです。
生まれてからたった今の今までの。
20年かけて培ってきたものは、20年かけて整え、30年かけて培ってきたものは30年かけて整える。
何か一つのことがきっかけで大きく気付き開けることはあるにはありますが、一足飛びに成せるものは何一つないと言っていいと思います。
だから、焦ることはないし、焦ったところで仕方がない。
自分という者のすべては、いつも露わになっているんです。
求めて来てくれるお客さまや友人たちと共に、時間をかけて整えていく。
共に歩んでくれているそのお客さまや友人たちが、いつも『教えてくれている』んです。
『自分というオリジナルは、どいういうところにあるのか?』ということを。
ありもしない部分を過剰に期待し求められているとしたら、そんな期待に答える必要はありません。
そもそも、ありもしないものを過剰に求められるとしたら、セラピストは『自分自身が自分ではないものを飾っていなかったか?』顧みる必要があります。それは、お客さまがイケナイのではなくて、自分の責任です。
ありもしないものを背負ったり、飾りたて『応えられるフリ』をする必要はありません。
お客さまが自分に対し『言わずとも持ち続けてくれている期待』こそが、本当に自身に求めれらている『オリジナル』です。
その面を時間をかけて整えていくことを忘れてしまっては、セラピストをやっている意味がありません。
そこに、自身が生まれてきた意味があります。
その部分が、自身の使命となっています。
それは、必ず、足元にあるもので、最初から既に与えられているものです。
どうぞ、良き仲間を持って下さい。
集大成が、すでに居て下さっているはずです。
近くを見渡せば、わかります。
有り難き、愛する人たちと共に。
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